決闘で興奮した声とは違う穏やかな声。 それは、古典の授業中だったり。 二人で帰る道すがらだったり。 カードを優しく見ているときだったり。 ゆったりと穏やかな時間が流れていて。 今も世界のどこかで、誰かが死んでいるかも知れないということも忘れ。 ただ、柔らかい日差しと風に抱かれて、ぬるま湯に浸かってたゆたう。そんな感じ。 張り詰めた、ピンと張った糸がいつ切れるのか分からない、緊張とは無縁のとき。 そんな時に零れる、みんなは知らない、もう一人のボクの静かな、穏やかな声。 ボクしか知らない、秘密の音。 今日は学校もなくて。城之内君たちと遊ぶ予定もなくて。 外はとてもいい天気で、窓を開けて布団を干して、ちょっと固いベッドに転がった。 柔らかい風が頬を撫でて気持ちい。 『相棒』 静かに、もう一人のボクがボクを呼ぶ。 その声があまりにも心地よくて。 なんだか、瞼を開けるのが勿体なくて。 そのまま、狸寝入りの体勢に入った。 『相棒、寝てるのか?』 見えないけど、分かる。 ベッドの淵に腰掛けて、両足を組んで片腕をついて、ボクを振り返ってる。 多分、そんな体勢。 『相棒…相棒…』 ただ、穏やかに呼ばれる。 ボクだけの特権。 他の誰にも許されない、許さない。 ボクともう一人のボクだけの時間。 ゴロンと押し入れの側に寝返りを打って、静かに目を開けよう。 淵に腰掛けているなら、目を開けても多分死角になるはずだから。 そう考えて、そっと、目を開けた。 『相棒』 綺麗な紫紺が目の前にあった。 「っ!!」 人間、驚きすぎると声も出ないらしい。 どうすることも出来ずに、目はぱっちりと見開いたままで、身体が硬直した。 『俺を騙そうなんて100年早いぜ』 楽しそうに笑う、もう一人のボク。 押し入れ側にボクと寄り添うように寝転がっていた。 いつもなら、淵に腰掛けているのにっ。 おかげでボクの心臓は、口から飛び出しちゃうんじゃない!? ってくらいにバクバクいっている。 『相棒、あいぼう』 静かに、大切に囁く。 ボクはドキドキし過ぎて死にそうだった。 ぎゅっと目をつぶって身体を交換した。 そして、心の部屋に飛び込んだ。 一方、いきなり人格交代が行われた<遊戯>はというと。 外の世界にいきなりほうり出されたために、軽い目眩を起こしていた。 ベッドの上に寝転がっていたため、大事にはならなかった。 しかし、外で何かをしているときだったら危険だった。反省。 「相棒」 千年パズルを両手に抱えて、声をかける。 しかし、パズルはうんともすんとも言わない。 「…相棒」 小さく、息を吐いてベッドに仰向けに寝転がる。 千年パズルに両手を組んで乗せ、目をつむる。 慣れた浮遊感と短い暗闇を抜け、遊戯の心の部屋の前に立つ。 部屋の中は台風でも来ているのか。 人形達が壁すれすれを飛び交っているのが、小さな鍵穴から見てとれた。 どんなに心が荒れても、壁に人形やおもちゃが当たらないところは流石。 しかし、このまま、待ちぼうけというのは時間が勿体ない。 せっかくの休日。 しかも、誰とも予定がない。 城之内君たちと遊ぶのは楽しい。 けれど、たまには誰にも邪魔されずに二人きりの休日を楽しみたい。 コンコン と控え目にドアを叩く。 台風が一瞬にしてたち消える。 しかし、ドアは以前として閉じられたまま。 「相棒」 シンとした静寂が返ってくる。 「相棒、相棒、相棒……」 他の言葉など忘れてしまったようにひたすら、名を呼ぶ。 刷り込みよりも、もっと強烈な何かで。 小細工なんてバカバカしい。 「あいぼう、あいぼう」 ただ、呼ぶだけでいい。 それ以外いらない。 「あい…」 ガチャ 静かに扉が開いて、ひょっこりとアメジストがのぞく。 「相棒」 「なぁに」 「相棒」 「…もうっ。」 ドアが大きく開かれる。 仲直りということだ。 「相棒」 甘く。 甘く、囁いて。 どうかこの声を忘れないで。 アメジストの瞳が柔く細められる。 「もう一人のボク」 甘く、甘く、囁いて。
実際のところ。 こんなに呼ばれた恥ずかしい。 と、思う。
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