七夕。 この日は、離れ離れになってしまった、織姫と彦星が、年に一度だけ会うことを許された日。 二人の間に流れる天の川に、今日だけは橋を掛けてくれる。会いたくて、会いたくて。 ただ、あなたに会うために辛いことににも、悲しいことにも耐えて。 この日のためだけに、生きていた。 あなたに会いたくて。 ここ数日の間にどの家の軒先にも笹の葉が揺れるようになっていた。 笹の葉には色とりどりの紙に書かれた短冊。 願いを込めて一生懸命に書かれた、言葉たち。 風に吹かれて、短冊が揺れていた。 この願いが、天に届くように、子供たちは、大人たちと笑いながら、願いごとを書いた。 明日は七夕だ。 願い事を書き終わった子供が、 「明日は、今日みたいに晴れるかなぁ?」 と、嬉しそうに母親に尋ねていた。その子の母親も、 「そうねぇ。葵がちゃんといい子にしてたら、きっと晴れるんじゃないかしら」 と、返事をした。その母親の言葉を聞くと、葵と呼ばれた子供は嬉しそうに笑った。 「ほんと!あおい、いい子にする!!だから、今年は、おりひめと、ひこ星。あえるよね?」 「そうね。会えるといいわね」 和やかな、暖かい空気がそこには流れていた。 自分には、決してありえないであろう時間。 その光景を見ながら、ナルトは一人寂しそうに窓辺に腰掛けていた。 自分には、一緒に願い事を書いてくれる人も、一緒に笹を取りに行ってくれる人も居ない。 別に、それはもう随分と前から続いていることだから、いまさら嘆くことでもないが。 今年は、何故か感傷的になってしまう。今日の任務も無事に終わり。 いつも通りのくだらない任務。 「バイバイ!!」 と手を振って仲間と別れ。 いつも通りにサクラはサスケの腕をつかんで一緒に帰っていった。 むしろ、サスケはサクラに連行された。といったほうが正しい気もしたが。 あえて、突っ込むことなく。 「一緒に帰ろうか?」 とカカシは手を差し出す。 その手に戸惑いながらも、ドベのナルトなら何の躊躇いも無く掴むだろうと。 何も考えずに手をつないだ。 自分の手よりもかなりでかいその手。 少し悔しい気もしたが、そのことには触れずに、一人で喋り捲る。 今日の任務は、やはり自分が一番がんばったとか。 先生もいい加減、高みの見物決め込まないで手伝えとか。 今日は、日差しが暑かったとか。 だから、アイスが食べたいとか。 ほんとは、どうでもいいこと。 こんなことほんとは思っても居ないし。 でも、ドベのナルトならこうやって、不平不満を言い続ける。 そして、でも、やっぱり楽しかったと。締めくくるのだ。 家の近くになると、カカシとつないでいた手を離し、手を振り、走り出す。 「センセー、バイバイ!!」 「明日は、任務ないから、修行するにしても、ほどほどにするんだよ」 と返事を返される。 「分かってるってばよ!」 と元気に返事をして、前を向く。 その顔には、先ほど目で浮かべていたお日様のような、笑顔は無く。 ただ、底なしに広がる暗い闇が広がっていた。 □■□■□■□■ 7月7日の朝。土砂降りの雨の音で目が覚めた。 ベッドから起き出し、窓を開け放てば、雨の音は一層、強くなった。 蒼い筈の空は、真っ黒な雲に覆われていて、その蒼はほんの少しも拝めなかった。 空から、目を放し、眼下に広がる里を見下ろした。 そして、ふっと昨日の親子が願い事を吊るしていた笹が目に映った。 この雨にぬれて、笹はその葉を下に垂らしていた。 願い事を書いた短冊は少し字がかすんでいるようで、短冊に黒いシミが広がっていた。 ナルトは、寝巻きとしてきていた黒のノースリーブのまま、昨日のように窓辺に座った。 そして気付かぬうちに、『はぁ』と、ため息をこぼしていた。 そのため息が、又何故か寂しくて。 雨によって、気温の下がった外気は寝起きの体には少し寒かった。 その冷たい外気が、自分の心までも冷やしていくような気がして。 昨日、嬉しそうに話していた親子の顔が浮かんだ。 あの、葵と呼ばれていた子は、朝起きてどんな顔をするだろう。 こんなにも、降り続けている雨を見て。怒ったように、文句を言うのだろうか? それが、無意味だと、頭では分かっていても。それでも、きっと怒るのだろう。 「何、感傷的になってんだか」 自虐的に笑えば、更に寂しくて。 誰にも、会いたくないけど。 それでも、人肌が恋しいのは何故だろう。 ナルトは自分のしている事が馬鹿らしくなった。 どうせ、他人のことだ。 固まり始めた体を無理やり動かし、窓辺から立ち上がった。 窓を閉めることも、面倒になりそのままリビングに歩き出そうとした。 かた。 振り向けば、そこにはこの雨の中、走って来たのであろう特別上忍の月光ハヤテがいた。 人が近くに居たのに、自分としたことが気付かないなんて。 ヤバイな。 ハヤテの忍服からは、まだ水滴が落ちていて床を濡らしていた。 「おはようございます。ナルト君」 「…あんた、何しに来たの」 「えっと……」 「あ、動かないで。部屋ん中、濡れるから」 ハヤテが来たことに最初は呆気にとられたが、すぐに風呂場に行きバスタオルを取ってくる。 それをハヤテに渡すと再び、風呂場に行き湯を張る。 ハヤテが「ありがとうございます」とバスタオルで水分をとっている間に、寝室へと向かう。 箪笥を開けて、何故か買ってあった大人用のワイシャツとズボンを持ってハヤテの元に戻る。 「風呂沸かしたから、体、暖めて。服出しといたから、上がったらそれ着といて」 「何から、何まですみません。ッゴホ」 「ほら、邪魔だから早く行く」 「はい」 取り敢えず、ハヤテを風呂に追いやると、ナルトはキッチンに向かいやかんを火に掛ける。 そして、雑巾を手に取ると、濡れた床を拭いた。しばらくすると ぴぃ―――――!! とやかんが鳴る音がした。 火を止め、紅茶を入れる。 一緒にミルクを暖めて。 コップを二つ出す。 一つは自分の。 もう一つはハヤテの分。 3分もすれば紅茶の良い匂いが、リビングに広がる。 コップをお盆に載せると、キッチンのテーブルの上に置き、ハヤテが風呂から上がるのを待つ。 それから間もなくして 「ありがとうございました。服も丁度ぴったりですし」 と風呂から上がり、来たときよりは、顔色も良くなったハヤテがそこに立っていた。 「そう。よかった。紅茶、冷める前にどうぞ」 「いただきます」 椅子に向き合うように座る。 無音のリビングには紅茶を飲む音だけが広がる。 ハヤテのコップの紅茶が半分になったころナルトは、ハヤテに話しかけた。 「で、何しに来たの?この雨の中、しかもこんな朝早くに」 「ナルト君に会いに来ただけですよ」 「それだけの為に来たって言うの?ばかばかしい」 飽きれた様にナルトは言った。 俺に会うために来たって? しかも雨の中、走って。 ずぶぬれになるだけジャン。 もし、俺が居なかったらどうすんだよ。 しかし、ハヤテはたいして気にしていないのか、嬉しそうに目を細めた。 「そんなことありませんよ。こうして、あなたと一緒に居られることが嬉しいので」 「あっそ」 ナルトはコップを置いて立ち上がると、朝と同じように開けっ放しの窓辺に座った。 静かに時間が流れてゆく。 ハヤテは、決して俺の時間を邪魔したりしない。 ただ、静かに見守ってくれる。 時には、それが寂しいこともあるが、そのときはそのときではちゃんと声を掛けてくれる。 素直に、甘えたことなんて数えるほどしかないけど。 でも、俺の本当の姿に気付いた人間の一人だから。 気が許せる。別に取り繕う必要も無いし。 素のままで居られることが一番、疲れないし。 たまには、こんな時間も過ごしたい。 ハヤテの存在を忘れて、ボーっとしていると、女の子の悲しそうな声が聞こえた。 そして、少し怒っている様な、雨が降っていることを非難する声が。 「お母さん、雨降ってるよ!!」 「そうね。今年は天の川、見れないわね」 「え!?じゃあ、おりひめとひこ星はどうするの?会えないの?」 女の子が、母親に悲しそうに尋ねている姿が、微かだが見えた。 よっぽど楽しみにしていたのだろう。 それだけに、悲しみもひとしおのようだ。 そんな、娘に母親は目線を合わせると肩に手を置いて何かを話していた。 「 」 その答えは、更に強くなった雨の所為で聞き取ることが出来なかった。 でも、女の子は嬉しそうに笑っていたので、何か良い答えを貰ったのだろう。 あの母親がこちらに背を向けていなければ、読唇だって出来たのに。 その答えが知りたかったが、出来るわけも無く。 「……」 何故か空を睨んでしまった。 「何を、睨んでいるのですか?」 ふわっと優しく抱きしめてくるハヤテを見もせず、視線を戻した。 誰かに抱きしめられるなんて、いつもなら許さないのに。 しかも、後ろから。 けれど、今はそれさえもどうでも良かった。 「別に」 「そうですか。では、何故あの親子の会話を熱心に聞いていたのですか?」 「…俺が何をしようと、ハヤテには関係ないだろ」 「そうですね。でも、私はただナルト君が何を悩んでいるのか。それが知りたいだけですよ」 ただ、優しく。大切なものを抱きしめるようにナルトを抱く。 ふわりと、石鹸の香りが鼻に届く。それが、心地良かった。 だから、少しだけ話してみようと思った。 別に、返事なんか期待してないけど。ただ、話してみようと思った。 「今日は七夕だけど。この雨だから織姫と彦星は会えない。って向かいの子が叫んでたんだ」 「そう言われてみれば、今日は七夕でしたね。ナルト君は願い事を書かないのですか?」 「書いてどうすんだよ。どうせ、叶わないのに」 ハヤテのことを仰ぎ見ながら言った。 俺の願なんて一生叶わない。 それを知っているから、天にお願いなんかしない。 そんなことしても虚しいだけだし。しかし、ハヤテは優しく笑いながら 「それは、分かりませんよ」 と言った。ナルトは、少し意外だと思ったがそれが自分に当てはまることは無く。 「とにかく、俺は書かない」 とだけ言い切った。そして、言葉を続ける。 「それで、その子の母親がその葵って子に何か言ったみたいなんだけど。雨が酷くなって聞き 取れなかったんだ。だから、何て言ったのかなって」 「そうですか。ナルト君はその言葉が気になるのですか?」 「気になるから、聞いてんだろ」 恥ずかしいからなのか、照れているのか。 ナルトは怒った様にそっぽを向くと黙ってしまった。 それでもまだ目線は同じところを見ていた。 滝のように降り続く雨の所為で見えなくなってしまった親子の家を。 あの母親の言葉が知りたくて。 どうして、あんなにも怒っていた女の子が嬉しそうに笑ったのか。 その理由が知りたかった。 それが分かれば、自分の抱いている変な悲しみも消えるのだろうか。 とたんに黙ってしまった、ナルトにいたずらが過ぎたかと思い。ハヤテは声をかけた。 「ナルト君。こっちを向いてください」 「…」 しかし、振り向くことも、微動にもされず。 困り果てたように、お願いをした。 「お願いですから」 その声に、不機嫌そうにナルトは振り向いた。 「…何」 振り向いた目には、どうせ答えなんて教えてくれないんダロ?という思いが含まれていて…。 しぶしぶ振り向いてくれたナルトを向かい合うように抱きなおしそのまま床に座り込んだ。 胡坐をかいた自分の膝の上に乗せると、人肌になれていないナルトは嫌そうに身じろいだ。 「なに?」 「先ほどの、母親の言っていたという言葉に思い当たることがあるので、お教えしようかと 思いまして」 その言葉に、少しだけ興味を示し、ハヤテの目をしっかりと見つめる。 ハヤテは、ナルトの瞳を見ながら、質問をする。 「ナルト君はこの雲の上には何があると思いますか?」 その問いに、ナルトは変な顔をしながらも即答した。 「空しかないだろ」 その、ナルトらしい言葉に、苦笑しながらも 「そうですね。」 と相槌を打つ。そして、更に言葉を続ける。 「なら、雲の上で星は輝いていますよね?」 確認するように、言葉をつむぐ。 その言葉に、ナルトはああ。となにか納得したように息を吐き出した。 ようやく何かに納得したナルトに、言葉を伝える。 「きっと、織姫と、彦星は雲の上の晴れた空で、二人きりで会っているでしょうね」 「…そうだな」 嬉しそうに少し目を細めると、ナルトは曇り空を見上げた。 まだ土砂降りの雨は続いていたが、この厚い雲の先で、夜になればきっと二人は会っているのだろう。 二人きりで、誰にも邪魔をされずに。 天の川に掛けられた橋の上で、一年ぶりに逢えた事を喜んでいることだろう。 「デモさ。それでも、来年は晴れて欲しいよな」 「そうですね。一年に一度の嬉しい日ですから」 青く澄んだ空ならば、きっと綺麗な天の川が見れることだろう。 零れんばかりの星屑の中で二人は、永遠の愛を誓う。 きっと、今年は悲しそうにしていたあの女の子も来年は笑っているだろう。 母親と二人で青い空を見上げて。 まだ見たことは無いが、きっとその側には父親も居るだろう。 3人で仲良く夜空を見上げているだろう。 そして、自分たちもそれが出来れば言いと思った。 忍びとして、一年を無事に生き抜くことは大変なことだが、今なら約束しても良いと思った。 「来年も、一緒に見れればいいな」 その言葉に、驚きと、嬉しさがごちゃ混ぜになった。 そして、思った。来年もこの子の側に居続けたいと。 「出来れば、来年も一緒に見たいですね。二人きりで」 その腕に愛しい人を抱いて。 そして、耳元に呟くように囁いた。 『この約束は、絶対に忘れないで』 甘く。あまく。いつまでも、心の中に残るように優しく囁いた。
まず、当時のあとがき。